RPG

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ドラゴンクエスト9が発売されました!
今となってはもう老舗のシリーズですし、
みなさん待望の新作なので寝食を忘れてプレイされているのではないでしょうか?
かくいう私も、欲しい気持ちをグッと堪えてこの文章を書いております。
買うだけ買って、プレイしていないどころか、
箱さえ開けていない、場合によっては袋からも出していない、
さらにいうと自家用車の中に放置なゲームまでもが多すぎて……。
そこで今回はプレイしたくてもできない、このやるせなさを題材に、
ちょっと昔のRPGの話でお茶を濁します。
ドラクエしたいな、コンチクショー。
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私事で恐縮ですが「風よ。龍に届いているか」をやっと読み終わりました。
この物語が連載されていたのは、今は亡き「ファミコン必勝本」。
もういつの頃やら、記憶も定かではないですが、
タイトルにファミコンという名がつく雑誌に連載されていたからには、遥か昔で間違いないでしょう。
そして著者はベニー松山先生。
知る人ぞ知るゲーム小説の傑作にして、この作品の前作「隣り合わせの灰と青春」の著者でもあります。
で、ですね。
この「風よ。龍に届いているか」なんですが、
もうサイコーにサイコーなんですよ。
あいも変わらず「ゲームというメディアでのみ許される設定を、小説にどう移植するか」という部分に力点が置かれているので、
そういうところが好きな人(私です)にはもうホント、たまらないのです。
まぁいっちゃなんですが、この時代のゲームなんてものはグラフィックなんて今からすればショボショボ。
音楽なんてものもなく、下手をすればビープ音(機械とかエラーの時なんかに鳴る「ピポッ」とか「ピー」とか、なんかそんな感じのやつです)しか音がない!くらいのもんなんですが、
それしか知らない人間にとってはそれでも充分だったわけで……。
この小説の元になったゲーム、いわゆる原作にあたるものは「Wizardry(ウィザードリィ)」という、これまたRPGの古典みたいなやつなんですが、
「レベルがあがった」「しんだ」「Bでぬけます」
本のように、文章で直接キャラクターの心情、外見の描写などがなく、数値と最低限の文章でしか表現されていない。
そんな稚拙ともいえる表現の裏に、当時のプレイヤーは無数の行間を見出し、脳内で補完していたのです。
懐古主義といわれるのはイヤなので、昔が良かったとは口が裂けても言いませんが、
今のゲームとはちょっと違った楽しみ方をしていた、と理解していただければ幸いです。
そしてそんな「おれの脳内ウィザードリィ」を小説化!
「キャラクターの転送ってなに?」
「ドラゴンに踏み潰されたら死ぬんじゃね?」
「なんでプレイヤーの成長に合わせて敵も強くなるの?」
といった、昔のゲームにありがちな不条理と簡略化に、真正面から立ち向かって、作者なりの答えを出してくれています。どういった答えなのかはここで明言しませんが、さすがゲーム小説の名作といわれるだけのものではある、とだけ書かせていただきます。
と、ここまで前振りなんですけども、私がここ5年くらいで一番プレイしたRPGが
「世界樹の迷宮」
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です。
最近のゲームはストーリーからグラフィックからすべてが贅沢ですけれども「世界樹の迷宮」は、とくにストーリーのあたりがやけにシンプルで、全体的にあっさり風味です。
巷でもウィザードリィの後継などと言われる事が多い作品ですが、そういわれる所以は、全体的なあっさり感であるとともに、パーティ編成の自由度の高さではないでしょうか。
回復能力の使い手:メディック。攻撃特化:ソードマン。防御特化:パラディン。探索のお供:レンジャー……などなど「世界樹の迷宮1」なら9つ、「世界樹の迷宮2」なら、なんと12ものバラエティ豊かな職業から5人を選んで、迷宮に挑む……
しかも好みによっては同じ職業だけで編成(全員メディックで回復に隙がないパーティとか、逆に全員攻撃のみの命知らずパーティとか)したり、たった一人で挑む事も可能!
別にストーリーが大きく分岐したり、キャラクター同士の笑える掛け合いがあったりはしないですが、
自分が編成したパーティで迷宮に挑むのは、まさに「おれの脳内世界樹の迷宮」!
特に「世界樹の迷宮2」は職業ごとの個性が強く、バランスもよいので、オススメです。
ストーリーを楽しむのもいいですが、たまにはまったりとダンジョン探索なんてのもいかがでしょうか?
べ、別にドラクエができないから負け惜しみを言ってるんじゃないんだからねっ。